2011年8月28日日曜日

ソフトウェア開発と思想の関係



nyとgrooveの事をちょっと前に書いたときに思ったのだが、なんか思想を体現するための作品、としてソフトウェアが選ばれるようになってきた,,,というか結構前からなってるよなー、とか言うことをふと考えた。


nyは結局の所、思想の所で当局の検閲に引っ掛かった、という事だと思うのだ。


要は危険思想だった、という事だけ。


まぁ確かにラジカルだし危険かっちゅーと、確かにまぁかなりヤバイラインに存在していたものまちがいない。


grooveも、実装が優れているのではなくて設計思想が優れてた。


winnyは、実装自体には突込み所もあるだろうけど、思想の時点で他の類似物に勝っている所があったと思う。





プログラム作ってると、行き着くところは思想家か宗教家になってしまうんだろうか


...いやいや、それはちょっと極論というものだろう。


でもOzzieにしてもGatesにしてもLinusにしても、突っ込まれたり支持を受けたりしているのは結局は彼らの思想だと思うので、極論だと言い切るのもアホな気がする。


なんか規模がでっかくなると色々と大変ですなぁ





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